いつもそばに先生がいた

(日経「春秋」2014/6/27付) 物理学者でもあった随筆家の寺田寅彦は、意外にも子供のころ算数が大の苦手だったそうだ。親が心配して頼み込み、夏休み中、中学教師の自宅に通って教えてもらうことになった。その庭にある高い松の木に凌霄花ノウゼンカズラ)のツタが絡まり、隙間なく見事な花を咲かせていた。「霄」の字には「空」や「青」の意味があるという。青空をしのぐ勢いで上を向き、次々と咲いては散っていく。算術が解けず頭を抱える寅彦の目に、花の色は熱く映った。根気よく教えてくれるのに、なかなか分からず「妙に悲しかった」と、小品集「花物語」に書いている。経済協力開発機構OECD)が調べた国や地域の中で、日本の中学教員の勤務時間が最も長いという結果が出た。日本の先生は忙しい。夜更けの部活も早朝練習も、いつもそばに先生がいた。それを当たり前だと思っていた。叱られて、時にはうとましく感じた。大人になって振り返れば、恥じ入るばかりだ。熱心な教師との夏がなければ、物理学者寺田寅彦は誕生しなかったかもしれない。
(JN) 幼稚園から大学まで、様々な先生のお世話になった。記憶の濃淡はあるが、先生たちは意欲的であり、それぞれに影響を受けた。それは、担任だけでなく、教科の先生もである。忙しかったけど、私たちのことに時間をかけていただき感謝申し上げます。子供にとっては、保護者とともに大きな影響を与える人たちであるから、その人たちの力を出せる環境づくりが大切である。先生には、ゆとり、教養そして愛情が必要だ。表情豊かで好奇心いっぱいの子供たちを育てるために、国や地方はもっと資金を注ぐべきである。日本の家庭で共稼ぎが多くなれば、尚更、学校への期待も大きくなる。先生たちは普通の人間であり、限界がある。有能な先生が活き活きと動き回れる環境が必要である。日本から教育と人的資本を取ったら、何が残るのか。まずは、私たちのそばにいる働きっぱなしの現場の先生を理解し、支援しよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO73398480X20C14A6MM8000/