大自然に人間の時間感覚をあてはめたのだから無理な話

(日経「春秋」2014/9/29付) 活火山、休火山、死火山――。むかし学校でこの3分類を教わり、頭にすり込まれた人は多いだろう。御嶽山箱根山は「死」であった。しかし現在はこういう区分は廃され、過去1万年以内に噴火した山はすべて「活」だ。歴史時代、つまり文字が生まれてからの噴火記録がなければ死んだと見なし、記録があっても長く眠っていれば休止中というのがかつての判定だった。大自然に人間の時間感覚をあてはめたのだから無理な話で、しだいに再検討が進んだ。それを決定づけたのが1979年の御嶽山の噴火だ。死火山が生きていたのである。その御嶽が、また猛(たけ)っている。火山にしてみれば、これもほんの一瞬の身じろぎであるに違いない。人はその前になすすべもないのか。火山にあっては「休」も「死」もかりそめの姿、おしなべて「活」であるという現実にあらためて向き合わねばなるまい。それにしても御嶽よ、はやく鎮まれ!
(JN) 子どもの頃、社会科の授業での「死火山」の説明に納得がいかなかった思いがある。温泉が近くに出ているし、けむも出ているのになぜ、と思っていても、これを鵜呑みにして覚えていた。とにかく地球は生きていて、死んでなんかいない。マントルが動き、地底では何が起きているのか、我々はまだまだ無知無力である。地表の土砂崩れさえ、きちんと理解できない状況だが、山多く揺れ動く日出国であるから、この自然に対する研究調査にもっと力を入れてほしい。そして、情報を上手に早く提供してほしい。素人に分かるように、難しい解説ではなく、言い訳なく簡素にお願いしたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO77673590Z20C14A9MM8000/