核廃絶への一念

朝日新聞天声人語」2014年8月10日) 後に天才外科医となる若い男が、空き家を見つけて住もうとした。そこに突然、見知らぬ大工があらわれる。この家はその昔に自分が建てた、だから自分に改築させろ、という。男は任せた腕のいい職人はほどなく白血病で倒れる。原爆の被曝による。大病院で治したら仕事の続きをすると誓って別れたきり、姿を見せない。・・・・・手塚治虫の代表作『ブラック・ジャック』から「やり残しの家」という一編である。去年出た作品集『漫画家たちの戦争 原爆といのち』に収録、戦争を生き延び、「生命の尊厳」を生涯のテーマとした手塚らしい佳品だ。どんなに科学が進んでも、人間は「やはり愚かしい一介の生物にすぎない」と語っていた。きのうの長崎の平和祈念式典では、戦後日本の不戦の誓いの「揺らぎ」が指摘された。被爆者代表は「平和憲法」をめぐる政治の現状に非を鳴らした。人間の愚かさを直視しつつ克服する努力を続けるほかない。ドン・キホーテは無力だったかもしれないが、岩をも通す一念を持っていた。
(JN) 核は、使用後に簡単に水に流したり、ふたを閉めて、それで終わらすことができない。日本では、その恐ろしさを69年前から体験しているのに、なぜに、その廃絶を主体的にしてこなかったのか。それは、また核の力の怖さからであろうか。私たちは、被害者としての訴えではなく、その核の恐ろしさを記録し、それを知らしめる語り部として、全世界にその財産を担いで永遠に伝え回ることが任務である。それは、まずは国内に、広島そして長崎へ全国民が必ずそれを見に行ける環境をつくり、そして、日本が世界に核廃絶を、様々な文化から発信すべきである。私たち個々にできることがあるはずである。国家に頼るのではなく、それぞれの人々が個々に考えて行こう。皆がドンキホーテになれば、それはドンキホーテでなくなる。
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