『あの日から七十三年』

『あの日から七十三年』<2018年8月6日(月)>
 8月6日がやってきた。各紙、広島に思う。『春秋』(180806)「計画は無慈悲に遂行され、安芸門徒の国はおびただしい数の命を失った。73年前の、きょうのその朝まで無事を保っていた都市を一瞬にして滅ぼした非道である」。『余禄』(180806)「原爆投下で戦争を終わらせることができた。そう考える海外の人に広島、長崎の現実をわがことのように受けとめてもらいたい」。『筆洗』(180806)「核廃絶の動きは鈍い。政治外交が核兵器を葬ることができぬのなら人の心の誓いをもって葬るしかないのだろう。人びとの「物語」を想像し慈しむ。そして、何があろうと奪ってはならぬと」。
 (JN) 私たちは何を守ろうとして、核兵器を作り続けているのであろうか。権力者たちはどんな責任において、その数を増やしていったのか。兵器というものは、持てば持つほど、安心のために数や種類を増やして行く。今の自分のために増やして行く。仮想敵国がこちらに何発ミサイルの方向を向けているのか。では、こちらはそれ以上に。日本が国として存在をさせるためには、核兵器が必要であると、師の一人は言っていたがそうだろうか。それが国の存在証明なのだろうか。私たちが財産と国に縛られている以上は、団栗の背比べを続け、どこかではじけ飛んでしまうのであろうか。これから生まれる未来の人々に申し訳ない。原爆によって世界を平和にしたという正義を維持しようとする考えを消し去るためにも、この1945年8月の広島と長崎を伝えていかねばならない。