土壇場まで世界に背を向け、悲劇を積み重ねていった

(日経「春秋」2014/8/12付) 広島原爆忌の6日が過ぎ、長崎の惨禍を心に刻む9日を経て、今年もまもなく15日が巡ってくる。8月――。69年前の今ごろの一日一日は日本の運命を決していった。たとえばきょう12日は、ポツダム宣言受諾交渉のなかで連合国側の回答が伝えられた日である。文中には「天皇および日本国政府の国家統治の権限は、連合国軍最高司令官にsubject toする」とあった。外務省はこれを「制限の下に置かるる」と意訳したが軍部は憤激した。ずばり「隷属する」と受け止めて身構えたのだ。そうしているうちにもたくさんの人が落命したことを忘れてはならない。13日に長野市、14日に大阪市山口県岩国市、光市、そして15日未明まで埼玉県熊谷市秋田市の土崎港周辺には爆弾が降り注いだ。ポツダム宣言をめぐっては、そもそも7月末にこれを突きつけられて戦争指導者たちは黙殺を決め込んだ。連合国側は「拒絶」と解釈し、あの8月の悪夢がもたらされたのだ。土壇場まで世界に背を向け、悲劇を積み重ねていった昭和20年夏。その一日一日が痛恨の日付である。
(JN) 私たちは、為政者を真剣に選ばないと、私たちは為政者によってその期待と生活が踏みにじられる。戦前の状況とは異なり、現在は民主主義の枠組みはつくられ、私たちは自分たちの手で人を選ぶことが可能となった。でも、私たち自身が政治に対する能力が不足している。私たちは、臣民なのか公民なのか。敗戦後に再生された我が国と、8月15日までの我が国は、別の国でもなくそこに住む者も別の者でもない。前者は後者からどれだけ変化があったろうか。私たちは、この昭和のその歴史を真剣に理解し、そこで犠牲になった人々の苦しみを感じ、我が国がまたも同じ過ちを犯さないために、それぞれ個人個人が公民としての役目を果たすべきである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO75541860S4A810C1MM8000/