ジョーは「きのう」の人ではない

(日経「春秋」2014/7/27付) 少し前だが、スポーツのノンフィクションを公募するとボクシングの話ばかりになる、と聞いたことがある。貧しさからの脱出、トレーニングや減量の苦しさ、人の内に潜む本能、かけひき、栄光か負け犬になるかの天と地。あれこれを挙げていくと、1970年を挟む5年ほど少年マガジンに連載されたこの劇画に、要素はすべて詰まっていたと思い至る。「あしたのジョー、の時代」と題する展覧会が東京・練馬区立美術館で開かれている。いま、ジョーの野性は美術館にお行儀よく収まり、訪れた人の懐旧の情をそそる。ジョーは「きのう」の人ではないと訴えている。「今日という日を奇麗事ではない、周りからは狂っていると思われるような過ごし方をした者だけに『あした』はやって来る」。それがこの漫画のメッセージなのだ、と。そうだった、そうだった。
(JN) だれにでも「あした」はやって来る。否、「あした」は永遠に「あした」であり、私たちは「あした」を追いかけ続けるのではないか。私は毎週、「あしたのジョー」を待ち続けた。こんな人生あるのだろうか。おかしいよ、とも思いながら、毎週、そして毎週、マガジンを買い続けていたが、どこからか飽きてしまった。「あした」はどうしたのか。「あした」を想うより、「きのう」を考える方が良くなったのかもしれない。「きのう」は永遠に行き着くことはできない過去である。その過去には宝物が沢山ある。それをめぐる楽しさは、ジョーにはなかったか。どう考えようと、どうしようと、生きている限り「きょう」の次に「あした」はある。夏休みに暑い練馬へ行き、昭和の「あした」を観に行き、ジョーに再開しよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO74804360X20C14A7MM8000/