いまの時代でもオウム事件的なものは十分起こり得る

(日経「春秋」2014/1/22付) 「助けて」と繰り返す仮谷清志さんに、計画通り麻酔薬を投与した……。中川智正死刑囚が出廷し、拉致事件の日のことをそう証言した。この場を借りておわびしたいとも述べている。なぜその時、その場で自らの行いを判断できなかったのかと改めて思う。1995年のオウム真理教事件は、専門知識を学んだ高学歴の若者が入信し、幹部として犯罪に手を染めた点でも驚きを呼んだ。95年という年の意味を考える本を、若い研究者らが相次ぎ出版している。その1冊「1995年」(ちくま新書)で速水健朗氏は、今後の社会がこれまで通りには続かないという予感を共有した年だったと振り返る。グローバル化はその後も速度を増し、期待と不安を運んできた。ネットの普及は、信じたいものだけを信じる姿勢を助長しないか。「いまの時代でもオウム事件的なものは十分起こり得る」。速水氏はそうみる。
(JN) 信ずる者は救われるのか。信ずるものがない者は、その選択をどうすればよいのか。オウム真理教の解釈は良くできていたようで、高学歴者が入信していったと聞く。八百万の神々がいる日本では好都合に神を信じているが、本当に困った時の神頼みの相手はないのかもしれない。そこへ不安定な社会において若者が縋るものを求め、魅力的な指導者にのめり込む。それは1995年であろうと、2014年であろうと変わりない。若者よ魅力的な指導者には気をつけよう、自分を救うのは自分判断である。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO65678900S4A120C1MM8000/