大学、あとで値打ちのわかる贅沢品より、お手軽な消耗品で

大学、あとで値打ちのわかる贅沢品より、お手軽な消耗品で
 文部科学省が全国の国立大に出した通知について、日経「春秋」(2015/6/11付)は嘆く。
 「『大日本帝国の贅沢(ぜいたく)品』。三浦朱門さんは、旧制高校というものをこう言いあらわしている。旧制高校への進学者が同世代の1%しかいなかったからこそ、こういう世界は成り立ったのだろう。だから高等教育が大衆化した戦後は、そんな教養主義もすたれていく。いまや岩波文庫を一冊も持たぬ大学生は珍しくない。文部科学省が全国の国立大に出した通知は、こうした流れを加速させるに違いない。「社会的要請」に鑑みて、教員養成系や人文社会科学系の学部などは組織の廃止・分野転換をすすめるよう求めている。教養なんかサヨナラというならこの国の未来は心もとない。あとで値打ちのわかる贅沢品より、何事もお手軽な消耗品で間に合わせる時代。ファストフード、ファストファッションの次はファスト大学だろうか。」
 エリートでなくとも、世界で活躍するためには、無駄と思われる世界の文化や科学を学び、それを批判する能力が必要である。デカンショウを論じ、現状の政治を批判し、世界での悲劇に涙し、何とかしたいと思う、そういった心と知的能力があってこそ、進歩する科学技術を理解し、使うことができる。それに、人文社会学の教養が不足していれば、オウム真理教のようなところに入信してしまう可能性もある。私たちは、バランスよく知識や技術を身に付いてることが大事である。そして、大学は、価値を創造するところであり、世の中の要請にそのまま流されるところではない。教養が必要か否かは、個々の大学が考え、それが世の中に認められなければ消えて行くのであろう。