『なぜ前途ある若者が教祖や教団に心酔し、重大な・・・』

『なぜ前途ある若者が教祖や教団に心酔し、重大な犯罪に走ったのか』<2018年3月17日(土)〉
 23年前の「20日は月曜日。緊急車両のサイレンの重奏に驚き・・・・」。『春秋』(180317)は死刑が確定したオウム真理教の13名に思う。「社会全体で何度も問い返さねばならぬ課題も残る。なぜ前途ある若者が教祖や教団に心酔し、重大な犯罪に走ったのか。ネットという見えないつながりが万能の昨今、新手のカルトの芽が出ぬとも限るまい」。
 (JN) この日は子供の卒園式のため仕事を休んで式典に参加していたため、事件を知るのが遅かった。はじめ聞かされて何のことか理解ができなかった。そして、信じられなかった。猛毒ガスによるテロがこの日本で起きるなど、現実に起きてもなかなか認めることができないことであった。そして、犯行グループがわかり、またなぜに、このようなことを起こしたのか、疑問が生じるばかりであった。この社会に不満を持ち、それを変えたいというこであるが、その手段がなぜにこのようであったのか。被害を被った人そして家族への思いはどうなのか。塀の中に入っている彼らは、自分たちのしたことを今どのように思っているのか。また塀の外ではまだ布教活動を続けている人たちがいる。未だにテロを起こそうとしている輩は現存するのか。私たちはもしもの時に何ができようか。そのために、社会は監視社会に向かい続けるのか。それはそれで良いのか。いかがなものか。