上野の森を再設計して世界に向けて開けば

(日経「春秋」2014/1/20付) 東京の上野には2つの顔がある。東北とつながる玄関口としての顔、たばこの煙と夜行列車の汽笛がよく似合う上野のイメージは、人々が額に汗して働いた高度成長期の象徴でもあった。もうひとつの上野は、少し控えめな表情で森の中に隠れている。いくつもの美術館や音楽ホールが一カ所に固まって立つ芸術の中心地としての顔だ。その施設群の心臓にあたるのが、東京芸術大学の図書館だろう。山田耕筰の自筆楽譜あり、狩野派の絵師の下絵帳あり。日本文化を築いた先人の生きた証しが、老朽化した建物で眠っている。アメ横を歩くと人と肩がぶつかる。雑踏にたどり着いた昭和の働き手は、他県の出身者と交じり合い、己を磨き、たくましく製造業を支えたことだろう。ならば上野の森を再設計して世界に向けて開けば、芸術文化での日本の新しい玄関口になるかもしれない。宝の山を埋もれさせず、世界を刺激する上野の風景を見たい。
(JN) 上野の山に行くのは、子どものころから動物園やモノレール、博物館、音楽ホール、美術館、桜、・・・・・・。上野駅から東京文化会館と西洋美術館の間を通り、交番前へ出たところから国立博物館を臨むあの場所が好きだ。「さぁー今日は、・・・・・・」とワクワクする。この宝の山に人それぞれに好きなものがあろう。それをどのように再開発できるのか、来る人それぞれがまた来たくなる街づくりであろうが、その魅力に人が多く来過ぎるとその魅力が半減してしまう。日本人は場所も時間も集中するのが好きというか、個性がないというか、同じが良いとなってしまう。アメ横は刺激的で多国籍に人がぶつかり合うぐらいに賑やかで良いであろうが、芸術の森は刺激的でゆったりできないであろうか。休日ぐらいラッシュにならないよう、ゆっくりと学芸の中に佇める森にしてもらいたい。それが世界に開かれた上野になろう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO65551610Q4A120C1MM8000/