ナショナリズムはしばしば暴走する

(日経「春秋」2013/12/28付) 奴隷の平和より王者の戦争を!亀井勝一郎昭和16年12月8日の日米開戦に発奮し、雑誌「文学界」の企画「近代の超克」のなかでこう呼びかけた。高村光太郎は「記憶せよ、十二月八日」なる詩を書いている。明治維新このかた、ながく日本人の心によどんでいた情念が噴き出したのだろう。きっかけさえあれば、現在でもそういう思いは人々をとらえるのかもしれない。安倍首相の靖国神社参拝に異例の「失望」声明を出した米国への、まるで72年前の言説のような激しい言葉がネット空間に飛びかっている。ナショナリズムはしばしば暴走する。自らのふるまいが災厄を呼びこみつつあるという自覚は、けれど安倍さんにはないようだ。普天間問題に区切りをつけた。景気は上向きで株価も高い。高揚するこの人を誰も止められず、その先に何が待つ。
(JN) 1950年以降に生まれた者には米国の恐ろしさも戦争の悲惨さも体験せず、米国を憧れて育っている。でも、戦後の教育は国家主義の恐ろしさを伝えてきたはずだが、それを受け止めている人とそれを拒絶する人がいる。首相は後者に入るのか、我々国民を煽り国家主義に向かわせ、日本は孤立して四面楚歌を迎えるのであろうか。まさか板門店の北側の国と同じように軍国化し支配者は岸一族が継いでいくのか。暴走は止められるのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO64719140Y3A221C1MM8000/