情に訴えるのが得意なのだ

(日経「春秋」2014/5/31付) 北朝鮮が、拉致された人々ら彼(か)の国にいる可能性のある日本人の安否を再調査することを約束したという。そもそも拉致は無辜(むこ)の市民に対する北朝鮮の国家犯罪である。今回の日朝の合意には「従来の立場はあるものの(再調査する)」との北朝鮮側の文言がある。その立場とは「拉致問題は解決済み」ということだろうから、「これまでウソをついていた」と白状したに等しい。「すべてのご家族がお子さんたちを抱きしめる日がくるまで使命は終わらない」。おととい安倍首相が力を込めたこの一節、そういえばことし初めの施政方針演説にも入っていた。情に訴えるのが得意なのだ。ただし、前のめりは困る。相手のゆがんだ座標軸に惑わされることのないよう、冷めた頭での交渉をお願いする。
(JN) 犠牲になるのは、無辜の市民である。戦争時であろうと、平和時であろうと、為政者の言うままに最前線へ送り込まれた双方の市民が犠牲になる。そして、その悲劇を為政者たちは利用し、感情に訴える。為政者たちは、自分たちのために主観的に、感情的でもあり、その事件には冷静に客観的に、市民には感情を持った人の顔を見せる。北朝鮮がというが、それを都合よく利用さえしている強かな者よ。どちらも、何世代にもわたり市民の上に君臨してきた為政者であるゆえ、取り巻きも多い。表向きは動きそうだが、本当に進展するのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO72078020R30C14A5MM8000/