以来9条は一字一句変わっていない

(日経「春秋」2014/7/1付) きのうは神社へ出かけ、茅(ち)の輪という茅(かや)でできた大きな輪を三度くぐって身を清め、ことし後半の心機一転を誓った方もいるだろう。夏越祓(なごしのはらえ)などと呼ばれる6月末日の神事。そして迎えたきょう1日はこの国の戦後の歴史の大きな節目である。集団的自衛権の行使を認める閣議決定が予定されている。歴代の政権が「憲法9条があるのでできない」と言い続けてきたものを「憲法9条があっても許される」と改める。今の憲法がまだ明治憲法の改正案だった昭和21年6月、時の吉田茂首相が9条にからんで国会で答弁した。「改正案は自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」「近年の戦争は多く自衛権の名において戦われた。満州事変しかり、大東亜戦争またしかり」。以来9条は一字一句変わっていない。一方で解釈は変わり続け、ついに集団的自衛権の行使を盛り込んだ「新釈9条噺(ばなし)」最新版の完成である。
(JN) 憲法は、我々国民を国の権力から守るためにある。その憲法が国の都合で解釈が変えられるとは、何とも都合の良い憲法解釈である。私たちは、これを黙ってみているしかないのか。弱小野党は、少数故抵抗できないのか。民主主義は、多数原理なのか。民主主義は、こんなことを認めない。日本は、民主主義の国家ではないのであろう。資本主義の論理に従って、富と権力の集中が進むしかないのか。資本主義にとって都合の良い政党が力を持ち、国家は栄えて行くのか。その節目はもう過ぎていて、資本主義の渦に巻き込まれていくしかないのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO73588290R00C14A7MM8000/