「1つの正解を探しすぎ、訴える力が弱い」

(日経「春秋」2013/11/16付) 試験、確実に解ける設問から手をつけて難問は後回しにする。日本の学生にとって、これが答案用紙を書く手順の王道だろう。だがインドでは違う。デリーで学ぶ日本人留学生、大事な期末試験で1問目から順に回答を書いていったが、第2問で難航しそうなので、飛ばして3番、4番に注力したそうだ。全体の出来は上々だったが、教授に呼び出されて、こっぴどく叱られたという。たとえ一問でも、一文字も書かず空白で出すとは何事か。「○○を論ぜよ」と求められたからには、とにかく何でもいいから書きまくる。正確さよりも表現の量を重んじるのがインド式だ。白い答案を見て教授は「思考力が薄弱」と判断したらしい。インド人といえば国際会議や学会で延々と持論を語り、司会泣かせで知られる。数字のゼロを発見した創造的民族にとって、多く語るのは良い事なのだろう。さて、グローバル人材の育成が課題という日本人はどうか……。「1つの正解を探しすぎ、訴える力が弱い」。インド人学者の評である。
(JN) 日本人というより、自分のことで恐縮だが、アッピールというものをしない。お互いにわかっていること、近い考えをあえて繰り返すなと考えてしまう。しかし、それは無視無関心であろう。それは共存するもの通しの存在を脅かすことにもなろう。狭い世界に住んでいるとしても、お互いを興味持ち理解するためにも、とにかく、正解を何とか出そうと考えるより、表現をし訴えましょう。更に、我々の生活を脅かすようなことに対しては強く論じなければならない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO62683650W3A111C1MM8000/