この国は「災後」の像を探し求めている最中だ

(日経「春秋」2013/11/15付) そして「戦後」が終わり「災後」が始まる――。東日本大震災の直後、政治学者の御厨貴氏は、巨大地震原子力災害の強烈な共通体験を持った日本は転換期を迎え、新しい価値観の社会が生まれるという指摘。「災後」なる言葉はさほど広がってはいない。しかし目を凝らせば世の中では「災前」にはあり得なかったことも起きている。たとえば地域独占の電力市場を激変させうる改正電気事業法の成立など、3.11の前に誰が見通せただろう。小泉純一郎元首相の「脱原発」ぶりも、かつては想像できなかった展開である。思えば3.11からまだ2年8カ月。「戦後」が始まった8.15からの時間経過になぞらえると1948年の春先ということになる。そういう混乱期だとすれば試行錯誤も当然で、行きつ戻りつ、この国は「災後」の像を探し求めている最中だといえる。もっと激しく、もっと熱く意見をたたかわせて見える道もあるだろう。
(JN) 1948年の春先には自分は存在していなかったので、直接は知らないが、まだ戦後などと言える時期ではなかったであろう。そしてまだ米国軍に占領されていたし、どれだけ戦災地が復興していたか。それと比べることが東日本大震災にできるか否かわからないが、そのステージに相違はあるが私たちの何かを変えようとしている。ただ、自分たちの生活を守るだけでは、本当に自分たちの生活を守ることにはならないことが、徐々にわかってきた。この震災後をどう考えるか、立法や行政を私たちは動かして行かねばならない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO62606570V11C13A1MM8000/