「せっかくの機会だから」と計画がどんどん太っていく構図

(日経「春秋」2013/11/4付) ふらり門をくぐると、夕日のなか、市民ランナーがトラックに長い影を落としていた。スウェーデンストックホルム陸上競技場は、日本が初めて参加した101年前の五輪の舞台である。もちろん改修は重ねてきた。しかし、れんが造りの外壁や木のベンチを並べただけの背の低い観客席が古風だ。壁には、1912年以降ここで生まれた世界記録を刻んだ金の銘板が飾ってある。さて、7年後の東京五輪で主会場になる新国立競技場である。1300億円と見込んだ建設費は3千億円まで膨らむかもしれないというし、威容が緑多き明治神宮外苑の景観にふさわしくないという声、大きすぎて五輪後に使い道があるのかを危ぶむ声がある。「せっかくの機会だから」と計画がどんどん太っていく構図はないか。そばをジョギングする市民に五十年後百年後も優しく語りかけてくるような建物だろうか」。建築家槙文彦さんの懸念はもっともである。
(JN) 我々日本に住む者は、最近まで木の家に住んでいた。その家は、火災、地震、洪水などで壊れ、その立て直しや改築を繰り返した来た。その発想がなぜ、鉄筋コンクリートの建築物でも生かされないのか。戦後の箱モノ行政の中で、大金をつぎ込み建物を、その後はお構いなしとなってしまったのか。自分たちの命は70年から80年であろうが、子孫はその後も生き続けて行く。原発についても然り、長く安心して利用できるものを大事にすべきである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO62091200U3A101C1MM8000/