自国の結果ばかりが関心を集め、世界の選手になかなか目が向かない。

(日経「春秋」2014/2/9付) 東京都心にきのう13年ぶりの大雪警報が出た。街は煙り、列車も運休。雪不足のソチに分けたいと思う方もいたろうか。そのソチから届いた国際オリンピック委員会会長のスピーチ、「私たちは皆さまの夢をかなえるためにある」と語りかけ、五輪は差別なく多様性を受け入れる祭典だと宣言した。人々を分断する壁を築くのが目的ではないとし、政治家も五輪に習い、対立を対話で解決せよと呼びかけた。しかし、コラムニストの小田嶋隆さんは、五輪が世界のトップ選手の技を全員でたたえるための場から、日本人だけを応援する催しに変わってしまったと嘆く。あたかも国対抗の巨大運動会のようだと。自国の結果ばかりが関心を集め、世界の選手になかなか目が向かない。このままでは、2020年が日本と日本人のためのお祭りになりはしないか。スポーツという横軸でつながる個人が、立場を超えて競う。国も都市も裏方。この理想を追うことで初めて、五輪が本来持つ輝きを取り戻す。
(JN) 2020年の東京オリンピックは何のためにあるのか。それは「おもてなし」である。お金をかけてゴージャスにお祭り騒ぎをすることではない。迎える我々一人一人が選手などオリンピック関係者他それを観戦に来る人々を含めて、心より持て成し、競技がベストの環境で進むことである。その持て成しをするのは、我々であるが、それを我々はできるのであろうか。私たちはお客様ではないのだ。構成員なのである。我々が自主的にオリンピック活動に対して精力的にボランティア活動を行う。支援ではなく、私たちが中心となりオリンピックにしなければならない。子どもから大人まで、それをあと6年の内に身につけよう。まずは、ソチでの全選手たちを応援だ。彼らからその精神と肉体の全力の表現を見習おう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO66600510Z00C14A2MM8000/