「震災遺構」の保存はその重要な試みである

(日経「春秋」2013/9/28付) 生涯忘れ得ぬ光景というものが、確かにある。けれど月日は流れ、少しずつ少しずつ復興は進み、あの景色も消えゆこうとする現在だ。悲しみを後世に伝えるにはどうしたらいいか。悲劇を教訓に変えていくには何が必要か。「震災遺構」の保存はその重要な試みであるに違いない。宮城県南三陸町の防災対策庁舎、津波で町がまるごと失われた志津川地区にぽつんとたたずむ、この凄絶なシルエットは訪れる人々の胸を打つ。しかし町は復興事業への支障や多額の費用負担、そして住民感情を考え合わせて保存をあきらめた。11月には解体が始まるという。「悩みに悩んだ。苦渋の決断だ」と佐藤仁町長は語っている。震災を語り継ごうという意志と、これほどの遺構を抱えつづけていくことの重たさと。そのはざまの心の揺れを思う。生涯忘れ得ぬ光景――。それは被災地にとっては津波のあとの廃虚ではなく、町が、人間が、目の前でのみ込まれていった痛恨の瞬間である。
(JN) 被災地でのあり方はそこに関わっていない者には口をはさむことではない。但し、その被災地でまた起こるかもしれないこの災害に対して、後世のものに伝えねばならないことをどう伝えるべきか。また、この大震災では被災しなかった地域の者も今後、何時、このような災害に見舞われるかわからない故、被災された方々の経験を知り、また現状を目にすることも必要である。被災地へのボランティア活動そのほかの支援は今後も絶えることなく続けなければならない。話はずれるが、広島に仕事で出張に際は、必ず、原爆ドーム及び平和資料記念館に行き、この惨事を忘れないようにする。私のような体験していない者でも、ここを見るのは辛く、相当の動揺がある。忘れない、二度と起こさないために、残す、それをどうすればよいか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60332310Y3A920C1MM8000/