勇気とか覚悟といった言葉が浮かんでくる。改めて感じる8月

(日経「春秋」2013/8/22付) 「乗船していたら、間違いなく海の藻くずになっていた」。大鵬は「私の履歴書」でこう書いた。68年前のきょう、樺太からの引き揚げ者を乗せた小笠原丸が「国籍不明の魚雷」の攻撃を受け北海道沖で沈んだ事件のことだ。同じ日、樺太から引き揚げてきた人たちを乗せて航行していた第二号新興丸と泰東丸という船が、魚雷による攻撃や砲撃を受けて、沈没したり大破したりした。合わせて「三船殉難事件」と呼ばれている。死者・行方不明者は合計で1700人を超えた。タイタニック号の沈没による犠牲者をも上回る、悲劇だった。事件の1週間以上前に、日本政府はポツダム宣言を受諾し降伏すると連合国に伝えていた。すべての日本軍に対する昭和天皇の停戦命令もとうに出ていたどれも旧ソ連軍の仕業だとみられている。けれど、旧ソ連政府もロシア政府も公式に認めたことはない。過去と正面から向き合うのは、それほどに難しいのかもしれない。勇気とか覚悟といった言葉が浮かんでくる。改めて感じる8月だ。
(JN) 今、その国の政権を担っているその主宰者と政府は、その国の過去も含めて責任を負っている。それはその過去の事実を理解し、説明できることが必要であろう。それが現在できないならば、できるように調査を行い、その事実を公にしなければならないはずである。それができないならば、その国は民主主義国家ではない。ロシアにしても彼の国も、なぜ戦争における国家の責任を明確にできないのか。不都合なことであろうと、現国家が歴史的な責任を負うべきである。それが国である。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO58783530S3A820C1MM8000/