『ニュージーランドでは日本の原爆の日に合わせ、多く・・・』

ニュージーランドでは日本の原爆の日に合わせ、多くの学校で平和教育が行われる』<2017年8月7日(月)>
 「コン・ティキ号探検記」のヘイエルダールは「境界線なんて見たことないね。心の中に持っている人がいるとは聞いたけど」。『余録』(170807)は、広島原爆投下の日に思う。コンチキ号の乗組員であった人類学者のダニエルソンはポリネシアに移り住み、「仏政府の植民地抑圧や秘密体質、核汚染の危険性などを告発した。仏情報機関がニュージーランドの港で核実験反対船を爆破する事件も起き、同国は87年、自国の非核地帯化を世界で初めて法制化する。仏の核実験は96年で終わったが、環境汚染や健康被害が明らかになり、タヒチ島パペーテに記念碑が建てられた。碑の周辺には他の核実験場や広島、長崎から贈られた石が置かれている。ニュージーランドでは日本の原爆の日に合わせ、多くの学校で平和教育が行われる。海でつながる連帯を大事にしたい。
 (JN) 大国の傘に下での平和国家として日本とすべきか。真の平和国家として、近隣国と連帯を取り、核を中心とした軍力に頼らぬ国家を形成できるのか。その中庸があるのか。私たち個人個人が考え、国を作っていかねばならない。実際に動かしていくのは政治であるが、その方向性を検討することを選ぶのは国民全員である。その国民のタマゴを育てるのが教育である。また、国民一人一人は弱く連帯が必要だ。そして、国を超えての連帯が必要である。国家間に憎しみを生みだすようなことなく、弱者同士が連帯し、仲間を戦いの前線に送り込んだり、銃後の地への殺戮を起こすことない互いの理解を持った国民に育てたい。「余禄」が呼びかけるように、「海でつながる連帯を大事にしたい」と考えませんか。