桃といえば夏から秋。なのに新学期?

(日経「春秋」2013/6/25付) 「三四郎」は、大学に入るために主人公が九州から上京してくる場面で始まる。その長い汽車旅の中で、三四郎が乗り合わせた広田先生から水蜜桃を分けてもらい、かぶりつく。桃といえば夏から秋。なのに新学期?。読み進めば「学年は九月十一日に始まった」とはっきり書いてある。調べてみると当時の帝国大学旧制高校は欧米に合わせて9月入学で、これを小学校や旧制中学と同じ春入学に統一したのは大正時代のなかばごろだという。ならばもう一度、このグローバル時代だから秋入学に再転換しようと東京大学がめざした計画が「当面見送り」となった。東大が踏み切ればほかの大学も続々……とはいかなかったのも誤算に違いない。もはや大学にオーラを見いだせなくなった社会ゆえの、どこか冷めた空気が改革の壁でもあるだろう。
(JN) ご承知の通り大学という組織は非常に硬直的である。ソクラテスと異なり、自分たちが何でも知っていて、一番正しいと思っている人も多い。学生や基金のことなど考えなくとも大丈夫と、自信たっぷりの人も多い。それが況してや東大、変わることは難しかったのであろう。三四郎のころと変わらぬ授業を行っている偉大なる先生もいるのが大学、これを変革していくにはソクラテスのお力を借りねばならない。いや、ソクラテスは国家に歯向かった者として処刑されている。広田先生どうすればよいでしょうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO56594320V20C13A6MM8000/