主要な登場人物がみな絶望している

(日経「春秋」2014/8/24付) ドストエフスキーは極限の体験をしている。反政府運動に加わったかどで投獄。銃殺寸前、恩赦が伝えられシベリア流刑となる。十数年後、世界的作家となり「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などの作品を生む。先日亡くなった哲学者の木田元さんは若き日に耽読(たんどく)し、「主要な登場人物がみな絶望している」と思った。「深く絶望していた」自分を同じ年ごろの主人公と重ねたという。17歳で路上生活者に。どうすれば不安と絶望から逃れられるか。小説でも救われず悩んでいたとき、独哲学者ハイデガーの「存在と時間」を知る。原書を読めば、生きる道筋が見える。その一心で独学し、東北大学哲学科に入る。「本当にやりたいことを見つけて一途(いちず)にそれを追求していれば、なんとか道は開ける」と書いた。後ろを振り返らずに進むうちに、望みのない人生がいつしか、「面白い人生」に変わっていた。
(JN) 哲学者の形而上学より、経験豊かな人の言葉の方が私たちの心に浸み込んで来る。木田元先生は何方か、何度も先生の本には苦労話が出てきてまったくとは思ったが、その苦労は説得力になった。学問は、最初にあるのではなく、後から追いかけてくるのであろう。人生の生き方は、ハイデガーでは得られないが、人生の糧に哲学はなった木田先生、その存在は私たちの心に残って行く。人には、それぞれに必要性を感じて、行動を起こすものである。教育は、それを準備する必要がある。絶望することまでは望まないが、幸せならそれでいいじゃないかとなる。不満と不安を感じことが成長の始まりである。木田先生は、人生は面白かったろうが、まだまだ不満であったろう。
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