スノーデン元職員の心の奥底もみえてはいない

(日経「春秋」2013/6/26付) 安全な町、あるいは国、危ないからと締め出しを図り、さらには危なそうだからというだけでダメを出す。そこに首をもたげているのは、自らと違ったものを拒む排除の思想である。ある小都市を訪ねたときには、安全の標語の裏に移民を排斥する意図が透けてみえた。考えさせられるのが米政府がネットなどの個人情報をこっそり大量に集めていた件だ。安全の大義と人権の大義。はかりはどちらに傾くのか。プライバシーに手を突っこんだと批判することはたやすいが、これで50件以上のテロを未然に防いだという米政府の釈明を素直に受け取れば、安全の大義が重くなる。問題を暴露し、いまは亡命を求めているという米中央情報局(CIA)のスノーデン元職員の心の奥底もみえてはいない。自らも安全を信じず、テロの危険を重々承知しているからこその情報機関の振る舞いなのだ。日本とまったく異なる国の姿なのだと改めて知る。
(JN) 自由ならばその分のリスクがあるのは、誰もがわかることである。であるから、それぞれのところが様々な努力をしている。一般大衆はそんなことを知る必要もなく、権利を求めればよいのであろうが、少しは行政の苦労も理解せねばならないか。スノーデン元職員が余計のことをしなければ、一般大衆はそんなことも知らずにいられたであろう。一般大衆には個人情報とはいったいなんであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO56646080W3A620C1MM8000/