フランシーヌの場合・・・・・三月三十日の日曜日

(日経「春秋」2014/3/30付) 太った豚よりやせたソクラテスになれ――。1964年3月、東京大学大河内一男総長は卒業式の告辞でこう述べた、とされる。じつは草稿にあったこの部分を総長は読み飛ばしてしまったのだが、ひとたび報じられると広く社会の関心を集め、流行語にさえなった。しかし若者たちのなかには、そういうエリートっぽい教養主義を嫌う傾向がすでにあったかもしれない。やがて全国の大学は紛争で騒然となる。当時のゲバルト学生も暴力一本やりだったわけではなかろう。むしろ小難しい本を小脇に抱えたり生硬な文章をしたためたり、何ごとかを自分で考えようとした風はある。「フランシーヌの場合」という、思いつめた感じの歌がはやったのも、やはり時代だったのだろう。きょうは、三月三十日の日曜日……だが世の中はすっかり変わり、知性や教養はますます影が薄い。「やせたソクラテス」から50年。今年の東大卒業式で、総長は論文盗用やデータ捏造(ねつぞう)はいけませんと訴えた。
(JN) 学生には経験をたくさんし失敗もしてもらいたいが、盗用や捏造はその必要はない。この便利な世の中であるから安易に盗用ができてしまう。凡人は新たなものを生み出すことは容易では無いので、あくまで既存の財産の上に乗っていくわけだが、それを自分のものと勘違いするようになってはならない。過去そして現在の人々のおかげて自分は生きている。フランシーヌは自分が一人ぼっちであると勘違いしていたようだが、私たちは一人ぼっちなのではない。失敗や失望を若者はするだろうが、経験を軽減せず、苦労を積み重ねて行こう。東大の総長でも、告辞の原稿を読み飛ばすし、それでも「やせたソクラテス」でいられる。さあ、もう直ぐ新年度、新しい世界の飛び込む方々、一人ぼっちではない、皆で悩み語り合いましょう。そして、ソクラテスのように学びましょう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO69109240Q4A330C1MM8000/