水俣病の争いには病像論と、被害拡大をめぐる責任論があった

(日経「春秋」2013/4/20付) 「病像」という言葉は広辞苑にも載っていないから、医学の専門用語なのだろう。昨年亡くなった原田正純さんは膨大な臨床例をもとに、この病気をあぶりだした研究者だ。水俣病には急性劇症だけでなく慢性も軽症もある、症状はいくつか出ることも1つだけのこともある――。「1症状だけの水俣病が存在しないという科学的実証はない」。回りくどい言い方ながら最高裁は、病像をもっと柔軟にとらえるよう迫る判決を出した。原田医師らが唱えた常識に今さらとはいえ追いついたわけだが、環境省はそれでもなお、基準は改めないという。役所がこうも頑(かたく)ななのは、さきに患者とは認めずに一時金を支払う政治決着が図られたからでもある。ならばやはり政治は、戦後日本のこの負の歴史にいま一度向き合うしかない。水俣病の争いには病像論と、被害拡大をめぐる責任論があった。
(JN) 産業資本優先、弱者弱者切り捨て、国家無責任の権威保持等の日本の歴史、これも病像でなかろうか。その一つが水俣行問題である。裁判所は国側から少しは離れても、また弱者が苦しむようではならな。それを社会全体がこれを受け止めて、同じことをおこさないように、国民自身が学習し、民主主義の国にしたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO54185140Q3A420C1MM8000/