どの人も分け隔てなく、互いの人格や権利を認め合う

(日経「春秋」2014/6/17付) 中世アイスランドの説話にこんな物語がある。首長格のフラフンケルは、ある日、羊をちりぢりにしてしまった若い羊飼いの前に馬が現れる。彼はこれにまたがり羊を集め終えた。怒った有力者は若者を殺してしまう。羊飼いの父トールビョルンはすぐ談判に行った。だが父親は、裁判を主張する。勝って所領を差し出させた。身分が違っても対等の立場で扱われることを求めたわけだ。ゲルマン民族は自主独立を重んじ、支配者に束縛されるのを嫌った人々がアイスランドへ渡ったという。どの人も分け隔てなく、互いの人格や権利を認め合う。世界経済フォーラムが経済や政治などの分野について男女平等の度合いを指数化する調査で、アイスランドは5年連続で1位だ。オトコ社会を壊し、女性の活躍を促す。官の不要な規制をなくし、民の力を引き出す。問題は男と女、官と民を心の内から同列にみる精神が社会に流れているかだ。女性は家庭に入るもの、民はお上に従うものといった感覚は意外に残っている。いろいろな政策も効果が薄まる恐れがある。
(JN) 何事も御上に声を発してもらうことで成り立っている我が日本の社会は、いわゆる民主主義の精神は、市民から育ってこなかった。これまでの歴史の中で、様々な支配者が現れたが、民主主義の革命を起こすほどの状態に至らなかったのか、或いは、プアな人々に更なる弱者を存在させてバランスをとってきたのか、我々は支配者の思うとおりにあった。弱者とは、女性、病人、障がい者、差別されている人達及び占領した国人達等である。そのことに私たちは気づいていない。これからも、美しい国の国民として気付くことはないのであろか。否、気付かない振りをしている。お互いに、そんな振りしていて良いのであろうか。形だけの民主主義や男女平等で良いのか。これが日本の形で良いのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO72849360X10C14A6MM8000/