『水俣病慰霊式の鐘の音のチッソOBの吾が胸抉る』

<2016年10月22日(土)>
水俣病慰霊式の鐘の音のチッソOBの吾が胸抉る』

 「今年は水俣病が公式に確認されて60年の節目の年である」。「天声人語」(161022)は水俣の現在を伝える。「典型症状があるのに病の認定や救済策を受けていない人が1500人以上もいる。偏見に対する恐れや情報不足のため救済から取り残されている。現状は全面解決と言うにはほど遠い。この29日、水俣湾の埋め立て地では、犠牲者の慰霊式が開かれる。〈水俣病慰霊式の鐘の音のチッソOBの吾が胸抉る〉中村和博。元社員が詠んだ。60年を超えてなお、この病はあまたの命と暮らしを壊し続け、加害の側をもさいなむ。」

 高度成長期に育った者は、公害が現実に自分の直ぐ横にあり、またその中に浸かっていた。東京の空は灰色であったが、首都であり、危険な工場は地方に分散した。東京はそれより公害の少なくなり、住みやすい都市となった。しかし、産業力のない地域は、地域の活性に受入れ、その産業とは切っても切れない中となる。チッソ水俣にとって大事な産業であり、これを悪者にすることができなかった。でも、その内部にいた者の力が必要であり、水俣は細川医師の決断があった。悲しい過去であり、こういった構造は水俣病だけではない。そして、まだ闘いが続いているのであり、過ぎ去った過去の歴史ではない。(JN)