散文精神、「歴史に責任を持つ」ことが大切

(日経「春秋」2012/9/14付) 「散文的」は褒め言葉でない。新明解国語辞典によれば「単調で、気分の高揚やしみじみとした情感が感じられない」他。一方で、作家の広津和郎に「散文精神について」と題した知られる小文がある。「どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通して行く精神」が散文精神なのだという。せっかちに世を謳歌して有頂天になったり、逆にすぐ滅入(めい)って音を上げたりすることを、彼は嫌った。散文的でなく、かつ散文精神に満ちた散文。小欄も含め、言葉を操るものの永遠の目標だろう。その目標を政治家の方々とも共有したいものである。広津はまた、「再び散文精神について」という一文で「歴史に責任を持つ」ことがいかに大切かを加えて説いた。二つの文章は戦争を挟んで書かれた古いものだが、いまも覚悟を迫ってくる。
(JN)こういう内容が出てくると、何もメッセージを出せなくなりそうである。ただ思うに、政治家さんたちは、どちらかというと感情に訴えて来て、中身が少ない。責任の所在がないことがある。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO46123260U2A910C1MM8000/