書店員たちの「イチオシ」で受賞作

(日経「春秋」2014/4/18付) 昭和11年太宰治芥川賞選考委員の佐藤春夫に懇願の手紙を書いた。その時代に「本屋大賞」があったなら、太宰など全国の書店に「私を助けて下さい」と手紙を出しただろうか。なにしろ既存の文学賞と違って作家は選考にいっさい関わらず、書店員たちの「イチオシ」で受賞作が決まるのだ。11回目の今年は479書店・605人の投票を経て和田竜さんの「村上海賊の娘」が選ばれた。回を重ねるごとに注目度が高まり、いまや芥川賞直木賞をしのぐほどである。和田作品は受賞後1週間で40万部ほど増刷されたという。編集者が候補作を挙げ、エライ先生方が料亭にこもって品定め――というプロセスを否定した読者感覚がビジネスに直結するのだろう。太宰は佐藤への懇願むなしく賞金500円を逃し、次は川端康成に訴えた。結局このときも選に漏れたが、受賞していたら無頼派・太宰は生まれなかったかもしれない。
(JN) 賞というものは目標になる。受賞して、更に大きな目標を目指す。収入も増える。もし、三島由紀夫ノーベル文学賞を受賞していれば、あんなことをしなかったかもしれない。でも、川端康成は、ノーベル文学賞を受賞したい故、自殺に陥ったのかもしれない。太宰治芥川賞を受賞しなかったから、無頼派の作品を生んでいかなかったかもしれない。その延長上にどんなことが起きるのかわからないが、目標として賞を設けることは、皆がわくわくして良い。しかも、この本屋大賞は、偉い方たちが選ぶのではないところに、私たち一般大衆の価値観に近いものになっている。そして、鶴の一声に影響されない民主的なものとしての価値もあるのではなかろうか。我々はこれを見習って、選挙の対応ができないであろうか。マスコミに踊らされたり、様々な誘惑に負けず、自分で良い人を、「イチオシ」の人を選ぶ力をつけるべきである。先々の選挙の目標に向かって、人を吟味しよう。それが良い政治家を生むことにもなろう。無頼派の政治家も生まれるかも。
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