スポーツが解き放つ人の性根に潜んだ差別意識

(日経「春秋」2014/4/30付) 1903年に現在のポーランドに生まれたユダヤ系の物理学者フリッツ・ハウターマンスは、ドイツで暮らした時期、「君たちの先祖が森で暮らしていたときに、俺たちの先祖はもう小切手を偽造していたんだぜ」と述べていた。ジョークには重すぎる一言に、差別に抗する精神のギリギリの発露が感じられる。もちろん1人の諧謔(かいぎゃく)が歴史を変えることはなかった。現実はナチスの反ユダヤ政策が彼に亡命を迫り、人生を翻弄した。先の日曜には、バルセロナに属するブラジル代表の黒人選手が、試合中に観客席から投げ込まれたバナナの皮をその場でむいて食べ、話題になった。米国で人気のプロバスケットでも黒人差別が問題になっている。スポーツが解き放つ人の性根に潜んだ差別意識を退治しようとして退治しきれない。そんな欧米の現実を、無観客のサッカー試合があったばかりの日本の明日の姿にしたくはない。
(JN) スポーツ観戦において、自分たちは優秀な人種であるとする行動は、何であろうか。それは、その者が自分とは別に見える者より優秀であると思いたいからであろうか。それとスポーツ観戦と何の関係があるのであろうか。何のためにスポーツを行い、またそれを応援するのか。せっかくのスポーツでの勝負が台無しである。多様性を受け入れらない閉鎖的精神は、破壊行為を招き、人類の危機を招く。私たちは、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会関係において、差別されない」のである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO70568780Q4A430C1MM8000/