慣れた日常の中に、怪しいムラは出現していないだろうか

  • (日経/春秋 2012/7/14付) 難しげな専門用語が飛び交う場所には、気を緩めると「ムラ」ができてしまうものらしい。金融大手バークレイズが、ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)を不正に操作。中央銀行までが「ライボー村」の住人だったのか。LIBORといえば、お金の世界では「ものさし」のような存在だ。その基準そのものが怪しいとなれば、金融業に対する、人々の信用の大前提が崩れてしまう。人が知らない場所で、世界の基準をつくる。その作業は孤独だが、とてつもない権力を手中に収めた感覚があるかもしれない。原発事故の教訓は、仲間内のなれ合いの恐ろしさだった。言葉が通じやすい者だけが集まれば、いつの間にかチェックは効かなくなる。慣れた日常の中に、怪しいムラは出現していないだろうか。

=>(JN)どこも「ムラ」だらけである。このムラは調子が良いときは問題がない。私たちが陥りやすい、目先のことだけで自分たちを守ろうとすることである。これは学校ムラでも起きる。一番守らねばならない子供たちの命を守らずに、言いたい教員を黙らせているそのムラの力は一体何か。ジョン・デューイが言っていた、「教育は常に児童や青年の価値よりも、むしろ、大人たちの価値を反映したり、また、今日の生徒のそれよりも、むしろ一世代前の生徒たちの価値を反映したりすることとなりやすい」。学校の格率なんなのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO43748210U2A710C1MM8000/