仮想通貨の取引拠点がアキバと並ぶ日本のポップ文化の名所シブヤ

(日経「春秋」2014/2/28付) 戦争や政変があれば、紙幣は紙くずになるかもしれない。銀行に預けても、銀行そのものが消えるかもしれない。国家と中央銀行より金銀や宝石の信用が勝る途上国、新興国は少なくない。金の腕輪も仮想通貨のビットコインも、法的な通貨ではない。リスクを承知で根強い人気があるのは、ドルや円などの公的な通貨や銀行サービスに、何らかの不満や不安を抱く人が多いからに違いない。ユーロ誕生の際、ドイツはフランクフルトに中央銀行を置くことにこだわった。インフレと戦う独連銀(ブンデスバンク)の伝統と威信が染み込んだ土地である。仮想通貨の取引拠点がアキバと並ぶ日本のポップ文化の名所シブヤだったのは、象徴的かもしれない。軽さから生まれる歴史もある。軽さに終わる流行もある。
(JN) この資本主義という資本の流れでは、何もかもが価値を要求される。そして、その使い勝手により、身軽なビットコインのような便利なものが出現したが、価値交換停止となった。こういったものがこれからも日々出現して、何時日か、金に勝る価値交換能力のあるものが出るかもしれない。でも、この価値は本来のその者の価値ではなく、交換するための常に変動する価値である。そんな価値に日々追い回される社会を私たちはずっと続けなければならないのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO67528110Y4A220C1MM8000/