アベのベア、じゃあない

(日経「春秋」2014/3/13付) その昔、「モガ」や「モボ」が銀座通りを闊歩(かっぽ)していたそうだ。片仮名言葉の2文字をつまんで略語とするやり方は近年めっきり廃れたが、かつてはたまにお目にかかった。「ベア」もそうである。ベースアップを縮めてベアとは誰が言いだしたものか、なかなか便利だから春の賃金交渉期には新聞の見出しにもよく躍った。それが昨今は死語扱いされかねない雰囲気だったのだが、今年は違う。一律アップとは悪平等だ、という声もある。とはいえやはりベアあってこそ賃金上昇の実感は湧こう。これが消費を増やし、企業がもうかり、また来年のベアを呼ぶならば申し分ない。もっとも、そういう流れをつくるのに政治が出しゃばりすぎるのは禁物だろう。甘利明経済財政・再生相などずいぶんコワモテで、利益が上がっているのに非協力的な企業は「経済産業省から何らかの対応がある」と述べたそうだ。ベアは労使で実らせるもの。アベのベア、じゃあない。
(JN) 大量生産の大量消費を再度、日本に再び起こすことが良いのであろうか。起きるかどうかも分からないが、米国資本のための経済政策を止めるべきである。金融資本に踊らされる現代の経済は、正常な経済なのであろうか。物を作ってではなく、目に見えない価値を売り買いする流通に翻弄されているアベノミクチュが、日本経済のベースを再生させたわけではない。ベアは上がって欲しいが、まずは3.11を忘れず、東日本の復興を中心として、生活に密着した経済活動の活発化をできないものか。ブルで一気に力尽くで押して行く時代を夢見るのは止そう。アベのベアではなく、私たちのベアをそれぞれに考え、達成しよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO68204310T10C14A3MM8000/