『反省する能力が教養で、世の中を良くする仕事は・・・』

『反省する能力が教養で、世の中を良くする仕事は教養の持ち主にしかできない』<2018年7月27日(金)>
 文科省職員の収賄容疑による逮捕について、『春秋』(180727)は物申す。「批判」とは「自分の振る舞いが適切であるかどうかを省みることだ」と先ず科学哲学の戸田山和久さんの言葉を持ち出す。そして、「批判という言葉を使い始めたのが、『純粋理性批判』を著した哲学者カントだという。くだいていえば、自分で自分の思考や言葉にツッコミを入れる批判精神こそ、『教養』なのだ。・・・文科省は、1990年代に大学の規制緩和を進めた。その結果、学部の段階から専門科目が増え、いわゆる教養教育が衰退した。戸田山さんは、『こんなことをやっていて、いいのだろうか?』と反省する能力が教養で、世の中を良くする仕事は教養の持ち主にしかできない、と説く」。
 (JN) 我々は甘い言葉に弱い。「批判」など、嫌いである。否、他人の批判は良いかもしれないが、自分を批判するなど、なかなかできない。でも、そのことを継続的に行うことを身につけさせるために、短い期間だが大学で学んできた。それは専門ではなく、教養である。ろくに勉強をしなかった者には、年を経るごとに無教養がローブローに堪えてくる。さて、我が職場の監督官庁のこの状態、大学設置基準の大綱化がここで影響を与えたか。否、逮捕された幹部は50歳代後半ゆえ、教養課程を十分に学修しているはずである。せっかく学修した課程の知恵を間違った方向へ導いたのは何であろうか。批判より、甘い言葉に威力ありか。