『「公共の場では着用」が国際標準』

『「公共の場では着用」が国際標準』<2020年6月26日(金)>
 コロナ禍、マスクの着用を『春秋(200626)』は思う。「欧米では、目元ではなく口元を隠す人を怪しむという。マスクをするのは重い病気にかかっているか悪事をたくらんでいるか。新型コロナの感染が広がり始めたころ、・・・マスクをして出歩く人が多く、『うつされそうで怖い』という気持ちが根底にあったと聞く。それが、その後の感染の拡大によって、いまや『公共の場では着用』が国際標準になったかのようだ。それまでマスク習慣がなかったブラジルでは、連邦裁判所がボルソナロ大統領に対して、公共の場でマスクをするように命令を出したという。文化や国民性にまで変更を迫る。新型コロナの脅威の大きさに、改めて驚く」。
 (JN) 自分たちの生命・健康と自由のために、マスクをつけるべきである。マスクは鬱陶しいので、できればつけたくない。でも、自己および他者の飛沫を避けるために、コロナ禍においては、マスクをつけることは必要事項であると考える。人目や変な見栄のために、マスクをつけないことはナンセンスである。自己で必要性を考えない者は自由ではない。見えないウイルスから仲間と自分を守るために、その効果は完全なものではないが、効果があることを行うことが大事である。自分たちがこの禍から自由になるためにも、マスクをつけましょう。
#サングラス
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#口元を隠す人を怪しむ
#文化や国民性にまで変更を迫る

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