『今日の自由社会の分断線』

『今日の自由社会の分断線』<2021年1月21日(木)>
 マスク着用を義務化を『余録(210121)』は思う。「人格を表すラテン語の『ペルソナ』は英語では『パーソン』・・・マスクの着用をめぐる欧米の紛糾も結構根は深い・・・バイデン新大統領は就任後100日間にわたり連邦政府施設内などで国民のマスク着用を義務化する。・・・おりしも米国の新型コロナウイルス感染症による死者は40万人を超えた。第二次世界大戦の米国の死者は約42万人、それもあと何日かで超えかねない。こんな惨禍にあってもマスク着用拒否を自由の証しとみる人の少なくない米国だ・・・バイデン政権のマスク義務化も、州によっては有名無実となりそうだという。個々のマスク着用がお互いの感染リスクの低下をもたらすコロナ禍だが、それが浮き彫りにした今日の自由社会の分断線である」。
 (JN) 自由とは何であるのか。この理解の差が自由の分断となるのだろうか。自由とは何か、そこから互いを理解しないと、自由を理解できないのではない。でも、先ずは健康に生きていけなければ自由を得ることはできない。健康の自由を得るために様々な努力が必要だろう。また顔の表情がわからなくとも互いを理解する努力も必要だろう。
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#死者数

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