『季節がいつものようにめぐることのありがたさ』

『季節がいつものようにめぐることのありがたさ』<2020年5月4日(月)>
 今日は「みどりの日」。『余録(200504)』は今日を思う。「自然に親しみ、その恩恵に感謝する日・・・『ファミリーの日』でもある・・・それまでなかった『家族』の記念日として、中国料理の老舗が名称を募集した。だが今年は家族で楽しく外食する光景もめっきり減ってしまった・・・こんな春に思うのは東京電力福島第1原発事故の被災者のこと。・・・桜の下で家族と過ごした時間を懐かしんでいるかもしれない。その桜も多くの人の目に映ることなく咲き、散っていく・・・もう一つ・・・寺山修司の命日だ。・・・<海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり>。夏の海のまぶしさを少女に伝えようとする少年の姿が目に浮かぶ。東北は桜前線が通り過ぎ、初夏へと移る。季節がいつものようにめぐることのありがたさ。今年はなおさら感じる。あすは立夏」。
 (JN) 5月の連休中なのに、まだ春を迎えていない気分である。新年度はいつ来るのだろうか。人間は勝手に時期を区切っているが、自然はそれを許さず、四季は巡って行く。早く区切りをつけたいこの自粛期間である。その区切りをつけるのは、私たちの行動にかかっており、自然は無関心である。自由を取り戻すためにも、今は不自由な生活に辛抱である。桜を楽しめず、からたちが過ぎ、ツツジも終わろうか。あじさいはどうだろうか。木に実がなるまで待つのか。自由のために、今は不自由。ところで今日は「ソ連崩壊の日」(1990年)であった。
#ファミリーの日
#寺山修司の命日

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