『日本社会の「空気」はどうなっている』

『日本社会の「空気」はどうなっている』<2020年4月10日(金)>
 「ウイルスといえども電子顕微鏡を使えば見えるが、日本社会の『空気』は感じるしかない」と『春秋(200410)』は緊急事態宣言以降の休業要請に思う。「われらが防護服はナノ単位のウイルスを前にして、ちょっときめが粗くはないか。・・・国のそんな心配が中途半端な対応・・・ようするに、この緊急事態宣言はどこまでいっても世の良識が頼りである。・・・それによりかかった対策は、さてどんな結果につながるか。空気といえば、そぶりだけの『エア○○』というのがある。まさかエア緊急事態ではなかろう」。
 (JN) 「できることは全てを行う」というが「できること」とはなんであろうか。抽象的で無責任な発言である。国民を犠牲にしても我が国の政治・経済を守ろうということか? まるで第2次世界大戦と変わりない。なぜあれだけの犠牲を出したのか。人の命は失ったらもう生き返ることはできない。我々は、自分で自分の命を守るためにも、行ってはならないやらないことは行わない。言うべきことは言う。犠牲者を出すことは自分も犠牲になる。私は大丈夫ではない。皆危ないと心得て行くしかないのではないでしょう。
#休業要請
#中途半端な対応
#エア緊急事態

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