『ステイト・オブ・ユニオン』

『ステイト・オブ・ユニオン』<2020年2月7日(金)>
 トランプ米大統領の一般教書演説に『筆洗(200206)』は思う。まずはジャネット・ワンの「自由」という詩を紹介する。「<わたしは受諾を誓います/さまざまに異なる/見解の違いがあればこそ/アメリカであることを>。・・・意見の違いは違いとして認め合い、その上で<ひとつの国民>になろう。協調の詩である。」現実は「あったのは意見が異なる者同士の憎しみばかりである。大統領の一般教書演説を英語で『ステイト・オブ・ユニオン』と呼ぶのは合衆国憲法と関係がある。『大統領は随時、連邦議会に対し《連邦の状況》を報告する』と義務付けられている。ユニオンには結束の意味もあるが、確かに一般教書演説の光景は結束の状況をあまさず報告した。危機的であると」。
 (JN) 自由や民主主義は誰かに与えてもらうものではないのだろう。それを求めるものが、行動の選択を見極めることにあるのだろう。米国の国民はその行動がどうするのか。4年ほど前のことを間違っていないと選択すれば、同じ繰り返しになる。これは、他国が手を出せない。この自分たちの方向を選ぶ国民自体が、自由と違いと協調を重んずる市民と言うより、商品流通における一消費者であるから、集合体の国や自分と違う他人のことより、自分の幸福を愛する者が多かろうか。さて、どうなるのだろうか。
#違いと協調
#自由