『大人が若者を無責任に励ましているようで本当にいやな言葉だ』

『大人が若者を無責任に励ましているようで本当にいやな言葉だ』<2019年1月14日(月)>
 「君たちには無限の可能性がある」。『筆洗』(190114)は、山田太一さんの思いをまず紹介する。「『大人が若者を無責任に励ましているようで本当にいやな言葉だと思います』・・・能力も同じでもない。運もある。その言葉は失敗した人に向かって無限の可能性があったのに『その分の努力が足りなかった』と言うのと同じではないか・・・河合隼雄さんが『大人であるための条件』をお書きになっていた。『単純に他人を非難せず、生じてきたすべての事象をわがこととして引き受ける力をもつこと』だそうだ。・・・新成人に限らず、本物の大人が増えれば、ままならぬ世の中にも無限の可能性をつい期待したくなる」。
 (JN) 大人とは何であろうか。河合隼雄さんの申されるとおりであれば、世界中で高齢の子供が世界を混乱させているようである。自分や他人に壁を作ろうとする。他者を排除しようとする。相手国の事情を考慮しない一方的非難する。世界には無限の可能性があるのに、他者を排除することは無能なことである。大人になるのは階段を上ることではなさそうだ。また、大人も子供も関係なく、他者を非難しないことが肝要である。子供と大人の違いは「生じてきたすべての事象をわがこととして引き受ける力をもつこと」であろうか。自分を含めたみんなの無限の可能性を見出すことに努力を惜しまないことが大人であろうか。これは難しい。