『お宅で鰻丼がふるまわれた客は全部食べてはいけない』

『お宅で鰻丼がふるまわれた客は全部食べてはいけない』<2019年1月13日(日)>
 「節分の恵方巻きが大量に廃棄処分されている問題」で、『筆洗』(190113)は斎藤茂吉の『茂吉小話』を紹介する。「訪ねていたお宅で、鰻丼がふるまわれたとする。この場合、客は全部食べてはいけない。・・・『その残りを少年であつた自分などは御馳走になつた』・・・だれの胃袋にも入らぬまま、大量に残り、捨てられている食べ物があるという現代社会の非常識を聞けば茂吉さん、さぞや嘆くだろう。・・・事態を重く見た農水省が十一日、コンビニなどの業界団体に需要に見合った販売を求めたそうだ。・・・恵方を向いて黙って食べれば縁起が良いとの触れ込みだが、食べ物を粗末に扱う行事では、だれも縁起が良いとは信じまいて」。
 (JN) ブームに流されるのは、それぞれの勝手であるが、食べ物を粗末に扱ってはならない。しかし、金銭価値で動く価格競争の世の中、大量に作り安く作り儲けを上げねばならぬし、いらなくなったら捨てるのである。資源の有効利用など考えにはない。食べられぬ人への分配の発想もない。いま、話題は恵方巻。その儀式を楽しむのは良いが、コンビニの儲けにしてどうする。無駄を生産させてどうする。需要者側が自覚せねばならない。自分たちで作ろう。あるいは、お寿司屋さんへ行って、美味しい巻物を食べよう。そして、ここは少し考えを変えて、品良く効率的に、一口で食べられる長さにしよう。無駄な長さにせず、切って皆で分け合って皆の幸せを考えて行こう。黙ってないで、皆と話し合おう。