『愛鳥週間は十六日まで』

『愛鳥週間は十六日まで』<2018年5月12日(土)>
 愛鳥週間に、われわれの身近な鳥、ハトから『筆洗』(180512)は考える。「この平和の象徴も、二つの大戦では通信手段として軍に大量動員されている。・・・少々愚かなイメージのある鳥だけに、哀れさも漂う話だが、帰巣の能力は人間をはるかに上回る。・・・人の顔から感情を読み取る。かなり賢い。公園で思うのは、彼らは食べ物の独り占めが下手ではないかということだ。せっかくパンくずを最初に見つけても、多くは懸命につつくうちに小さくまき散らし、寄って来た仲間に食べられる。ただ自動的に食べ物を分け合う社会的な仕組みと思えば、これも賢さだろう。世界で繁栄する鳥でもある。やはり平和が似合う。愛鳥週間は十六日まで」。
 (JN) 鳩と出会わない日はないと言っても言い。家の中に閉じこもっていない限り、必ず街で出くわす。人間との距離感を随分短めに持っている。カラスと異なり、攻撃的雰囲気がないので、私たちも近づくことを平気でいる。平日の通勤時、列車を待つ列に入ってくる。ある終点駅では、始発電車から出てくることがある。遊園地や公園でも、当たり前のように、足元をすり抜けて行く。飛べるという能力がここまでさせるのか。互いに理解しあってのことなのか。鳥と人間との間には国境線がないのに、なぜ人間には国境線があるのか。平和は戦争の合間に過ぎないのか。まずは身近な鳥たちに学べることはないか。