『お誕生日会が嫌い』

『お誕生日会が嫌い』<2019年12月4日(水)>
 名古屋市の小学校での「いじめ」を『筆洗(191204)』は思う。まずは作家の天童荒太さんは子どものころの話から。家が貧しくお誕生日会が嫌だった。プレゼントを買うお金もなかった。安くてもいいから何か買ってきてと言われ、全財産でプレゼントを買ったという辛い罪な話だ。一方、名古屋市では、お金を持ってこなければ「のけ者」にすると。「計約十万~二十万円を持ち出していた。・・・貯金箱にあったお金と聞く。五百円貯金といえば家族での食事など何か楽しい目標もあったかもしれぬ。・・・お金には手に入れた人の苦労という刻印が入っている。子どもたちによく教えたい」。
 (JN) いじめは、暴力とお金であろうか。何が切っ掛けでいじめになったのか。どこからいじめなのか。いじめっ子に何か要求される。いじめには遭いたくないと、言うことを聞く。ここが既にいじめが始まっている。なぜにこうなるのか。ことが大きくなるまで、問題は発覚しない。いじめられた側にどれだけの苦しみがあるのか、他の者にはわからない。ことはエスカレートする。集(たか)りはどこで学習したのか。年上の仲間か。この連鎖を食い止めるのはどうすれば良いのか。集いが集りの始まりだろうか。お誕生日会や友達が悪いのではない。人を大切にする心を育てたい。
#いじめ
#のけ者
#お金頂戴

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