『もし戦争になれば…。せめてその想像力だけは手放してはならない』

『もし戦争になれば…。せめてその想像力だけは手放してはならない』<2019年8月15日(木)>
 8月15日に『筆洗』(190815)は思う。「終戦直後、韓国・釜山からの引き揚げ船での出来事を作家の久世光彦さんが書いている。・・・食べ物をめぐって男たちがけんかを始めた。・・・おばあさんが唱歌の『朧月夜』をつぶやくように歌いだしたそうだ。・・・『周りの何人かがそれに合わせ、やがて歌声は船内の隅々にまで広がっていった。争っていた男たちが最初に泣きだした。みんな泣いていた』・・・その場にいた人が当時二十歳として現在九十歳を超えている。戦争の過去は昭和、平成、そして令和へと遠くなる。そして戦争の痛みもまた遠くなる。・・・もし戦争になれば…。せめてその想像力だけは手放してはならない」。
 (JN) 平和ボケで平和のありがたみがわからくなった。また、なぜ平和でいられるのか。戦争がどれほど悲惨であり、再び行ってはならぬことであることを理解せねばならない。それは歴史の授業における瞬間的政治の動きではなく、庶民の苦しみである。もちろん最前線の兵士たちも含めて、日本の人々だけでなく、様々な国の人々の苦しみを心で感じなればならない。その上で、平和を維持することは何であるか。喜びも悲しみも分かち合えるようにするにはどうすればよいのか。まずは隣国同士が何とかならないか。問題解決は喧嘩では解決しない。一緒に歌い、語り合うことができないか。国際間で起きている喧嘩を他人ごとではいられない。与えられた平和で、ボウーッとしていられるのはいつまでであろうか。
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#戦争の痛み
#平和ボケ

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