『戦争が終わっても平和は「パーッと」は来なかった』

『戦争が終わっても平和は「パーッと」は来なかった』
 戦争は終わったが、これからどうなるのか、その時の安堵と不安、東京新聞「筆洗」(2015年8月16日)は、その後のことを思い出せと。
 「俳優三木のり平さんの元に、召集令状赤紙が届いたが、兵隊にとられることはなかった。入隊予定日が終戦の三日後の八月十八日だったためである。『戦争に行かなくていいのか』。七十年前の終戦日を国民はどう受け止めたか。<戦争は終わった 私は心中「シメタ!」と思った>(小沢昭一さん)。<終わったーっ 生きてるぞ 生きのびたんだー>(手塚治虫さん)。されど「これからどうなるか」の不安だったのではないか。実際、終戦直後は戦時中よりも食糧や生活物資の入手は困難で、焼け跡での食うや食わずの生活が続く。終戦、そしてその後の平和な日本。これはあまりにはしょり過ぎた歴史であり、焼け跡での壮絶な苦しみが十五日以降に待つ。それも、やはり戦争の「罪科」なのである。
 1945年8月16日以降も、まだ砲火は続いていたことろもあったが、多くの場所は生きるための闘いが直ぐに始まった。日本は、未来設計などできる状態ではなかったであろう。それが19年後にオリンピックを開催するまでにどれだけの努力と様々な条件があったからだ。そこには、他国で起きた戦争が日本を救ったの皮肉である。日本は、米軍に守られて平和が維持されて、生きて行くことに専念できたが、世界では残念ながら戦争が永続する。その度に、民はその罪科をうけねばならないこの悲しき定めを終わらせることができないか。(JN)