『自由・平等・友愛』

『自由・平等・友愛』<2019年7月15日(月)>
 昨日(7月14日)はパリ祭、バスチーユ監獄襲撃の日から230年。『余録』(190714)は時代とともに変わりゆく世界の価値観を思う。1930年代のクレールの映画「巴里祭」に「『ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し』(萩原朔太郎)・・・映画公開時、日本の世論は5・15事件や国際連盟脱退に『よくやった』と・・・戦後は一転、革命の標語『自由・平等・友愛』・・・それが冷戦終結の89年、革命200周年を境に変わりだす。・・・今やパリはテロや暴動に脅かされている。某大学でパリ祭という言葉を口にしたら、学生は誰も知らなかった。自由も平等も友愛も、世界中で意味が変わり価値が薄れていくかに見える」。
 (JN) クレールの「巴里祭」から120年とのこと。バスチーユ監獄襲撃はそれから100年前。人々が自由を求めだして、まだ歴史は浅い。でも、その間に多くの血が流され、世の思いは、独裁者を求め、また自由を求め、揺れ動く。その間、国家への権力は集中し、商品経済の流れは拡大し、我々の自由は仮想通貨に流されてしまうのかもしれない。また、強き国を求め、権力の集中が更に進むのか。強い国を願う国ばかりでは、火花が絶えない。何とか緩やかな世界にならぬものか。「自由・平等・友愛」のために、なにをすべきか。先ずは、バランスの取れた国政と経済である。21日までにまずは、投票をしよう。票で自分たちの自由を考えて行こう。
#パリ祭
#クレール「巴里祭
#自由・平等・友愛

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