『驚くべきは現時の文明国における多数人の貧乏である』

<2016年9月12日(月)>
『驚くべきは現時の文明国における多数人の貧乏である』

 100年前の本日(9月12日)から大阪朝日新聞河上肇の『貧乏物語』の連載が始まった。「天声人語」(160911)は、その内容を伝え現在を考える。その書き出し「驚くべきは現時の文明国における多数人の貧乏である」と、現在も変わりない。また、「『国家有用の材』となりうる若者が、貧乏な家庭に生まれたがゆえに十分に教育を受けられない」と。「貧困対策、再分配――。政治に求められる取り組みは、待ったなしである。」

 私のような者は、周りの人がどうであれ、自分の生活水準が年々上がっていくことが幸せのバロメーターであった。貧乏でありながら、中流だと思っていた。高度成長、国民総生産うなぎのぼり、所得倍増どころではないバブルだ。マスコミも騒ぎ立てる。騙されやすい愚か者はずっと中流であると信じていたのである。ところが、そうでないらしい。儲けるものは儲け、貧乏な者はより貧乏になっていたらしい。それを100年前の今日、河上肇はもう語っていた。豊かになるのも自由、貧乏になるのも自由なのだろうか。否、自由というものはそういうものではなかろう。なお、河上氏は9月13日に、こうも言っている。「思うにわれわれ人間にとってたいせつなものはおよそ三ある。その一は肉体であり、その二は知能であり、その三は霊魂である。しかして人間の理想的生活といえば、ひっきょうこれら三のものをば健全に維持し発育させて行くことにほかならぬ。」(JN)