『薄れる記憶は美しい過去を生み、判断力を鈍らせよう』<2019年6月1日(土)>

 <何事も、古き世のみぞ慕わしき。今様はむげに賤しくこそなりゆくめれ>。『筆洗』(190601)は古代ギリシャ兼好法師モンテーニュの言葉を思う。「<記憶はわれわれの選ぶものを見せてくれずに、自分の好きなものを見せてくれる>。・・・スターリンの新しい胸像が、ロシアの大きな都市、ノボシビルスクに・・・再評価の余地などない人物の一人としか思えない。・・・<すぐれた記憶は弱い判断力と結びやすい>もモンテーニュだ。薄れる記憶は美しい過去を生み、判断力を鈍らせよう。戦争が遠くなったわが国でも戒めになるだろう」。

 (JN) 昔はよかった。昔は若かった。その頃の思い出は、良いことだけ覚えている。また自分の思い込みで、さらに良いものになっているかもしれない。その昔の良かったころに戻りたい。でも、生きているのは今であり、過去に生きることはできない。その過去の良かったということを現実に持ってくることはできない。寧ろ、こうしてはならないという教訓が過去の経験だ。思い出や偶像は何もしてくれない。バブル崩壊、公害日本、第2次世界大戦前の体制。その時代に戻すことが必要であろうか。否、そうならないためにはどうすればよいのか。

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