『若い母親の肩には、かつてとは異なるチリが日々、降りかかる』  

『若い母親の肩には、かつてとは異なるチリが日々、降りかかる』
 「気がつくと、同じ話を何度もしている。過去のことや子供への関心も衰えたようにみえる。消しゴムで消すように記憶が欠けていく。長い間に降り積もったチリが重みを増すように、肩にのしかかっているのだ」と井上靖は母親を描く。「春秋」(日経/16/5/8)は、これを今の若い母親に展開する。「若い母親の肩には、かつてとは異なるチリが日々、降りかかる。少子化が進んでも、子育て環境はなかなか整わない。花束で労をねぎらうだけでは足りない。支援の手でチリをはらい、元気も贈りたい」と。
 本日はこれから仕事で、母に会いにいけない。それよりも問題は、母への感謝をどうすればよいのかだ。コミュニケーションが難しくなり、母にどう対応すればよいのか。その昔、私が生まれたころは、逆に母が私にどうコミュニケーションをとればよいのか、悩んだことだろう。甘やかさず、嫌われようと厳しく。そして、私は自分一人で育ったような顔をして家を出ていった。母は強し、母親は、万能選手だが限界がある。できるだけ降りかかるチリを少なくする必要がある。それは、「母の日」での自分の母への感謝とともに、日々、それぞれの身近な母親たちにも感謝し、良い環境づくりを心掛けることが肝心だ。(JN)