『72年前の8月6日から今まで私たちは何を改善できたのか』

『72年前の8月6日から今まで私たちは何を改善できたのか』<2017年8月6日(日)>
 各紙、今日を思う。「原爆投下という残虐性に悲しき人間の不完全さ=未完成を思ったか。今年も八月六日がめぐってきた」と『筆洗』は1956年2月に旧制広島高校で「未完成」が演奏され、会場は人であふれかえったことを伝える。「音程は怪しかったそうだが、その音はかえって人間くさく、温かく聞こえたかもしれぬ。どれほどの方が傷ついた心を癒やし、人間らしさを少しでも取り戻すことができたことだろう」と。『余禄』は「地図を広げれば見えてくるかもしれない。広い世界の中で自分はどこにいるのか。世界で起きていることと昔の出来事がどうつながっているのか。そして『この世界の片隅に』すずのような人が今もいることに」と。『天声人語』は「抑止は、お互いが冷静で合理的にものを考えることを前提とする。普段は落ち着いた指導者も、ときに正気を失うかもしれない。どこまで合理的な判断ができるか、最初から疑いたくなる指導者もいる。危うい現状がある」と。『春秋』は「広島市営基町高層アパート」のある当時93歳の女性と3年前に知り合ったことを紹介する。。「公園の桜並木に1本のヤナギの古木がある。長屋に住み始めた71年前、『苦しい生活の慰めに、と玄関先に植えた苗木が立派に育ち、伐採されずに残ったのです』。自らの生の証しだと語った。・・・・・」。
 (JN) 私は広島市へ行く時、必ず「広島平和記念資料館」を見学し、その歴史を自分の頭に刻む。愚かな私は、今の米国の核の傘の下の平和で、その起こしてきた絶対悪を忘れてしまうからである。365日、どこかで殺戮が行われおり、いつ核爆弾の使用を命令が下されるかわからないのではないか。この広島の惨事は人間の起こした過ちの大きな一つである。それを私たちはどこまで理解しているのであろうか。理解できないまでも、この事実を受け入れなければならない。そのためにも、この資料館は全世界の人々に開放したい。バーチャルな体験の場を各国に作れないであろうか。まずは今日を機会に、世界中の方々にその一部だけでも知ってもらいたい。また、このような戦争を起こした日本の史実を私たちの記憶から消し去ってはならない。そのために私たち一人一人は何ができるのか。今日だけではなく、明日以降も考えて、できることをしていこう。
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